ロラン・バルト「省察」
「私はきのう書いたことをきょう読み直す、印象は悪い。それは気持ちが悪い。腐りやすい食物のように、一日経つごとに、変質し、傷み、まずくなる。わざとらしい《誠実さ》、芸術的に凡庸な《率直さ》に気づき、意気阻喪する。さらに悪い …
「私はきのう書いたことをきょう読み直す、印象は悪い。それは気持ちが悪い。腐りやすい食物のように、一日経つごとに、変質し、傷み、まずくなる。わざとらしい《誠実さ》、芸術的に凡庸な《率直さ》に気づき、意気阻喪する。さらに悪い …
「日本語の文学的散文を操って比類を絶するのは石川淳である。その漢文くずし短文は、語彙の豊かさにおいて、語法の気品において、また内容の緊密さにおいて、荷風を抜きほとんど鴎外の塁に迫る。・・・・・・荷風以後に文人と称し得る者 …
「私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの 世間知らずの子ども その三つ児の魂は 人を傷つけたことも気づかぬほど無邪気なまま 百へとむかう 詩は 滑稽だ」 谷川俊太郎 「世間知ラズ」
つねづね、障害があろうがなかろうが、自分の認識は自分のものだと言い張りたいと思ってきたが、それは本当にそうだっただろうか。 (小説にするつもりの文章などを)いざ書き始めるとすぐに「マイノリティ」の視点から世界を眺める書 …
実は数日前から調子が悪い。 色々フラッシュバックしてしまう。 麗しい父と子のドラマを観たり、本を読んだりしたのがいけなかったかな。 気をつけよう。 他人が何かの意図の元に作り出した麗しさより、 例えば自然に咲く花や流れる …
自分が歴史の末尾に在る者だ、という意識に憑かれている。 僕は自分にはどんな円環もない、と感じている。 つまり、この一回限りの生だけが自分のものだというふうに思っている。 一回限りの痛み、悲しみ喜び、怒り―。 幾 …
永井荷風の短編「銀座」の中に以下のような一節がある。 ……停車場内の待合所は、最も自由で最も居心地よく、聊かの気兼ねもいらない無類上等の 〔Cafe’〕 である。耳の遠い髪の臭い薄ぼんやりした女ボオイに、義理 …
あみだくじというものがある。 人生は畢竟、それと同じではないか。 全てを白日の下に晒して検分して認識出来なければならないという、 神経症的な、強迫観念的な奇矯さの中から抜け出して、 もっと自由に考えたら良い。 …
「永井荷風 冬との出会い」という本を読んだ。 著者はフランス文学者で文芸評論家、作家、慶應義塾大学名誉教授の古屋健三氏。 その中に以下のような文章が引用されている。 荷風が「ふらんす物語」の一編「蛇つかひ」のエピグ …
森鴎外の推挙で三田文学の初代編集長となった永井荷風。 永井荷風の「花火」は荷風が「政治」から距離を置くようになった経緯を描いたとされる作品だが、その際によく引用されるのは以下の一節である。 「明治四十四年慶應義塾に通勤 …