過去の自分はもはや「他者」でしかない。
普通の「自分」に憧れるとは、他者を羨むことと同義だ。
過去の延長線上に現在の自分があると言うことに、どうしても違和感がある。
ランボーが言うところの「私は他者である」とは、
ひとりの生活者としての僕にとっては心地よく、
物書きたらんと欲するものにとっては、この上なくまがまがしい音楽と聴こえる。
絶対の沈黙が僕の前に立ちふさがるとき、その音は、喉元に突きつけられたナイフに変成する。
僕の発語をおびやかす、全ての見知らぬ他人の価値観たちよ、君らの仮初めの答えは、いつも僕には不十分だ。