「徒然草」


 このところ、少しづつ、「徒然草」を読んでいる。

 「心に移りゆくよしなしごと」というのは実に豊かだと思った。

 人の心の中には実に沢山の思いが去来し、あっという間に消えてゆく。

 それを掴みうるものだけでも書きとめてみたら、どのようなことが、そこに立ち現れるのかを知ろうという、兼好の実験である。

「徒然草」の序段において、兼好が言う「あやしうこそ物狂ほしけれ。」とは、意外なほど、どうしようもない気持ちになるものだ。ということだ。

 どうしようもない気持ちとは、居ても立ってもいられない気持ちであり、気が触れそうな予感と言ったら言い過ぎだろうか。

 

 僕の場合には。

 定点「観察」しようとする時の、「定点」とはどこなのか?また、「観察」の対象は、自らの内奥以外に何かあり得るだろうかと自問自答して、その場所から動けなくなった。

 動かないその地点にも「時間」はある。むしろ、時間だけは平等にありかつ、濃密にある。有り余るぐらい、あるのだ。

 だからいつしか「時間」についてとりとめなく考えるようになった。

 時間に付着する記憶はさらさらと流れていることに気づく。同様に、景色も流れる。同じものを見ているのに。

 さらさらと流れる時間に乗った過去も現在も、風景も記憶でさえも、零れ落ちてしまいそうである。

 むろん、その儚さを、僕は愛しているのだが。