本との出会い

古屋健三氏の「永井荷風 冬との出会い」を読んでいて、以下のような文章に出会いました。

荷風が「ふらんす物語」の一編「蛇つかひ」のエピグラフに「アンリ・ブリュラールの生涯」の一句を借用している。

「われは其のままに物の形象を写さんとはせず、形象によりて感じたる心のさまを描かんとするものなり」

 この文章は、栗須公正「明治文学におけるスタンダール像」が明らかにしているように、「アンリ・ブリュラールの生涯」十四章の一節である。

(「永井荷風 冬との出会い」古屋建三)

 スタンダールは物事を「其のまま」書くのではなく、自分の外部の物事を受動した時に自分の心の中に起こる感情や心の動きを描こうとしていた、ということでしょうか。

 ちなみに、荷風の「ふらんす物語」の中の「蛇つかひ」は読んだはずでしたが、当該エピグラフのことは記憶に残っていなかったです。
 念の為と思い、手元に持っている新潮文庫版「ふらんす物語」所収の「蛇つかい」にはエピグラフは付されていなかったです。
ん、削除されたのかな? そんなことある? 

 それはさておき、「アンリ・ブリュラールの生涯」が面白そうです。

「永井荷風 冬との出会い」を読まなければ知り得なかった可能性が高いので、これも貴重な「出会い」だと思っています。

「アンリ・ブリュラールの生涯」、未読なので、近いうち読んでみたいと思います。

岩波の「アンリ・ブリュラールの生涯」の内容紹介を見てみました。

「無名の一外交官として50代を迎えたスタンダールが,その生涯最大の問い「自分は何であるのか」に答えるべく,グルノーブルで過ごした幼少年時代にまで自己探究の測鉛をおろし,こんこんと湧きいで蘇える思い出を鮮やかに書きつづる.非難,郷愁や感傷にとらわれない,真実と魅力にみちあふれる文学的自伝」

創作のタネは「思い出」かも知れませんね。

三田文学初代編集長 永井荷風

森鴎外の推挙で三田文学の初代編集長となった永井荷風。

 永井荷風の「花火」は荷風が「政治」から距離を置くようになった経緯を描いたとされる作品だが、その際によく引用されるのは以下の一節である。

「明治四十四年慶應義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走つて行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持のした事はなかつた。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。

「小説家ゾラはドレフュース事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。
「その頃からわたしは煙草入をさげ浮世絵を集め三味線をひきはじめた。わたしは江戸末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来ようが桜田御門で大老が暗殺されようがそんな事は下民の与り知つた事ではない—否とやかく申すのは却て畏多い事だと、すまして春本や春画をかいてゐた其の瞬間の胸中をば呆れるよりは寧ろ尊敬しようと思立つたのである」三田文学