歴史
自分が歴史の末尾に在る者だ、という意識に憑かれている。 僕は自分にはどんな円環もない、と感じている。 つまり、この一回限りの生だけが自分のものだというふうに思っている。 一回限りの痛み、悲しみ喜び、怒り―。 幾 …
自分が歴史の末尾に在る者だ、という意識に憑かれている。 僕は自分にはどんな円環もない、と感じている。 つまり、この一回限りの生だけが自分のものだというふうに思っている。 一回限りの痛み、悲しみ喜び、怒り―。 幾 …
永井荷風の短編「銀座」の中に以下のような一節がある。 ……停車場内の待合所は、最も自由で最も居心地よく、聊かの気兼ねもいらない無類上等の 〔Cafe’〕 である。耳の遠い髪の臭い薄ぼんやりした女ボオイに、義理 …
あみだくじというものがある。 人生は畢竟、それと同じではないか。 全てを白日の下に晒して検分して認識出来なければならないという、 神経症的な、強迫観念的な奇矯さの中から抜け出して、 もっと自由に考えたら良い。 …
「永井荷風 冬との出会い」という本を読んだ。 著者はフランス文学者で文芸評論家、作家、慶應義塾大学名誉教授の古屋健三氏。 その中に以下のような文章が引用されている。 荷風が「ふらんす物語」の一編「蛇つかひ」のエピグ …
森鴎外の推挙で三田文学の初代編集長となった永井荷風。 永井荷風の「花火」は荷風が「政治」から距離を置くようになった経緯を描いたとされる作品だが、その際によく引用されるのは以下の一節である。 「明治四十四年慶應義塾に通勤 …
森鷗外と大逆について興味を持っている。 三宅雪嶺の鴎外批判「二つの調和せざる頭脳」とは。 ツイッターで知ったのだが、幸徳秋水からクロポトキンへの書簡9通が発見されたそうである。 「麺麭の略取」(岩波文庫)という本が …