イエスの生涯をキリスト教作家の遠藤周作が自らのイエス解釈を含めて物語っている。
「無力な人、愛の人、イエス」像は大変興味深かった。
徹頭徹尾、「愛」に生きようとし、愛を実践し、愛に死んでいった人間・イエス。
その真意を汲めず、イエスに勝手な救世主・革命者のイメージを抱き、勝手に失望し、最後は石を投げ彼を死地へと追いやる民衆。その残酷さはいつの時代にも起こりうる過ちであると思うし、結局人は「見たいものしか見ない」のだろうかと暗澹たる気持ちにもなる。
イエスは捕えられ、民衆から見棄てられ、弟子たちからも裏切られる。
「現実的には」無力なイエスと保身第一の弱虫で卑怯な弟子たち(その姿は現代を生きる我々の姿そのままではないか)。
そんなイエスがなぜ救い主(キリスト)として再び人々の心に宿り、世界中で信仰される対象となるほど神格化されるに至ったのか?
遠藤周作の問いは深い。
イエスが十字架上で息絶えた時、その時、弱かった弟子たちは師・イエス亡き後、なぜ強い意志と信仰心をもてたのか。
その疑問についても著者の見解が綴られる。
また、イエスを裏切ったユダが、実はイエスの思いをよく理解していたのではないか、という解釈は私の中のユダのイメージを変えた。