飯島耕一は、1953年、第一詩集『他人の空』を刊行し、戦後世代の叙情性をうたう詩人として世に出た。これは戦後詩の象徴的な作品とも言われる。
その後も詩作のほか評論や小説など幅広く執筆活動を行った。
飯島は鬱になって詩が書けなかった時期があるが、そんな彼が鬱からの回復期に書いた詩がある。飯島耕一の代表作ともいわれる「ゴヤのファースト・ネームは」という作品である。
「ゴヤのファースト・ネームは」 飯島耕一何にもつよい興味をもたないことは不幸なことだただ自らの内部を眼を閉じて のぞきこんでいる。何にも興味をもたなかったきみがある日ゴヤのファースト・ネームが知りたくて隣の部屋まで駈けていた。(中略)生きるとは
ゴヤのファースト・ネームを知りたいと思うことだ。ゴヤのロス・カプリチョスや「聾の家」を見たいと思うことだ。見ることを拒否する病いから一歩一歩 癒えて行く、この感覚だ。(何だかサフラン入りのサフラン色した皿なんかが眼にうつって……)その入口に ゴヤのファースト・ネームがあった。いまは 一年間絵筆をとらず「恐ろしい性質」の病気のなかにあったゴヤのことに関心がある。「煮えたぎる」ほどの血をもったゴヤがひそかに身をかくしていた一七九二年九月から、
九三年七月までの 空白に。ゴヤのビュランが傷つけて行った時間を、きみは 一枚一枚めくって行った。 (一部抜粋)
僕はこの詩が好きだ。
僕自身、中途覚醒して眠れない夜なんかに、何にも興味をもたない自分を見出す。
それは深い深い穴の中を覗き込んでいるか、気づけば深い穴の底に座り込んでいるかしているような、気怠く情けない気分に覆われる夜だ。
そんな時に脳裏に浮かぶのは、自分は昨日、何に心を浮き立たせて過ごしたか、ということだ。
昨日じゃなくても良い、何年か前でも数十年前でも良い。
あの本を面白く読んだとか、あの音楽を聴きながら心がふるえる気がしたとか、そんなことだ。
しかしそしてすぐにこう思うのだから。
–でも、結局それだけのことだったのだと。
手に取って読んだ本も、聴力全部を預けるようにして聞いた音も、結局、今の僕には、何も残ってはいないのだと。
それが「恐ろしい性質」の病気だ。うつ病だ。「見ることを拒否する病い」だ。
そう思うとき、僕の口からため息とともに、一つの決定的な言葉が漏れそうになる。
その言葉を口にし、耳が聞いたら、脳が認識し、身体が実行してしまうかもしれない、引き金になりかねない一つの「言葉」。
だから、何かに興味が湧き、好奇心に駆られて動き回るというその動作を僕は無理やり思い出す。
そしてその心の躍動を思い出す。
煩雑さを厭わず探し回る間の興奮が、駆け出したくなる心が、必要な時だから。
その言葉が、ひとつの詩に躍動的に刻まれてあること。
そう、「ゴヤのビュランが傷つけて行った時間」のように。
言うなれば、「傷」ついた「時間」を過ごしたあとで、詩人が「ゴヤのファースト・ネームが知りたくて隣の部屋まで駈けていた。」その躍動が僕の心を慰める。
それは、回復への兆しであり、その部屋を出ること、いや駆け出ることは、見たい聞きたい知りたいは紛れもなく「生きること」であり、それを自分自身に叶えてやるために必要な治療行為としての脱出なのだから。