詩人であり、思想家でもある吉本隆明の詩、
『転位のための十篇』の中の「火の秋の物語――あるユウラシヤ人に――」
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この詩を読んでいつもイメージするのは「影絵」である。
影絵が小さな画面のなかで動きながら、やや冗長な音楽が流れるような気さえする。
影絵は、血を流している。
砂埃に塗れた風に吹かれている。
その男は、影絵として存在した。
感情を爆発させたくても、出来なくて、 ただ歩いた。
兵士は、元はただの男だった。
何かが、否応無く彼を、追いやった。
それが何なのか彼は、ユウジンに応答を求める。
そしてそれは徐々に、宣告に近くなる。
内奥に、理不尽な憤りを抱え込んだ人間の問いは、他者に「生」を突きつける。
そんな想像に浸されながら、僕はこの詩を読む。
誠に苦しい詩である。
僕には、その苦しさが「存在の危うさ」の前に自己格闘を続ける人間の痛み、その呻き声のように響く—。