「永井荷風 冬との出会い」という本を読んだ。
著者はフランス文学者で文芸評論家、作家、慶應義塾大学名誉教授の古屋健三氏。
その中に以下のような文章が引用されている。
荷風が「ふらんす物語」の一編「蛇つかひ」のエピグラフに「アンリ・ブリュラールの生涯」の一句を借用している。 「われは其のままに物の形象を写さんとはせず、形象によりて感じたる心のさまを描かんとするものなり」
この文章は、栗須公正「明治文学におけるスタンダール像」が明らかにしているように、「アンリ・ブリュラールの生涯」十四章の一節である。
スタンダールは物事を「其のまま」書くのではなく、自分の外部の物事を受動した時に自分の心の中に起こる感情や心の動きを描こうとしていた、ということか。
ちなみに、荷風の「ふらんす物語」の中の「蛇つかひ」は読んだはずだったが、当該エピグラフのことは記憶に残っていなかった。
念の為と思い、手元に持っている新潮文庫版「ふらんす物語」所収の「蛇つかい」にはエピグラフは付されていなかった。
それはさておき、「アンリ・ブリュラールの生涯」が興味深い。
岩波文庫で読めそうだ。
岩波の「アンリ・ブリュラールの生涯」の内容紹介を見てみる。
「無名の一外交官として50代を迎えたスタンダールが,その生涯最大の問い「自分は何であるのか」に答えるべく,グルノーブルで過ごした幼少年時代にまで自己探究の測鉛をおろし,こんこんと湧きいで蘇える思い出を鮮やかに書きつづる.非難,郷愁や感傷にとらわれない,真実と魅力にみちあふれる文学的自伝」
スタンダール(1783- 1842)といえば「赤と黒」「パルムの僧院」などを著した十九世紀フランス文学を代表する小説家。
「赤と黒」は主人公である野心的な青年ジュリアン・ソレルの目を通して、一八三〇年のフランス七月革命前夜の王政復古下の聖職者・貴族階級の姿を描き出し、支配階級の腐敗を鋭く突いたものとなっている。また、スタンダールの本作品は人間に対する細やかな観察とその予測から成り立っており、フランスのリアリズム小説の出発点となったと言われている。
人間や事象の仔細な観察によって成立したと言われる「リアリズム小説」家のスタンダールが「アンリ・ブリュラールの生涯」の中では「われは其のままに物の形象を写さんとはせず、形象によりて感じたる心のさまを描かんとするものなり」というのはどういうことだろうか、この一見矛盾する言葉はどう考えればいいのだろうか。
是非、読んでみたいものである。
余談だが、のちに「月と六ペンス」で有名な小説家サマセット・モーム(1874- 1965)は、そのエッセイ『世界の十大小説』の中で「赤と黒」を取り上げている。
ちなみに『世界の十大小説』は他にも「高慢と偏見」(オースティン)、「ゴリオ爺さん」(バルザック)、「白鯨」(メルヴィル)、「ボヴァリー夫人」(フローベル)などが言及されている。
そもそも「永井荷風 冬との出会い」を読んだことにより、「アンリ・ブリュラールの生涯」という作品を知ることになり、さらには「世界の十大小説」群にも改めて関心を持つことにもなった。
これも貴重な「出会い」だと思う。ありがたい。