障害当事者が小説を書くということ
つねづね、障害があろうがなかろうが、自分の認識は自分のものだと言い張りたいと思ってきたが、それは本当にそうだっただろうか。 (小説にするつもりの文章などを)いざ書き始めるとすぐに「マイノリティ」の視点から世界を眺める書 …
つねづね、障害があろうがなかろうが、自分の認識は自分のものだと言い張りたいと思ってきたが、それは本当にそうだっただろうか。 (小説にするつもりの文章などを)いざ書き始めるとすぐに「マイノリティ」の視点から世界を眺める書 …
実は数日前から調子が悪い。 色々フラッシュバックしてしまう。 麗しい父と子のドラマを観たり、本を読んだりしたのがいけなかったかな。 気をつけよう。 他人が何かの意図の元に作り出した麗しさより、 例えば自然に咲く花や流れる …
自分が歴史の末尾に在る者だ、という意識に憑かれている。 僕は自分にはどんな円環もない、と感じている。 つまり、この一回限りの生だけが自分のものだというふうに思っている。 一回限りの痛み、悲しみ喜び、怒り―。 幾 …
永井荷風の短編「銀座」の中に以下のような一節がある。 ……停車場内の待合所は、最も自由で最も居心地よく、聊かの気兼ねもいらない無類上等の 〔Cafe’〕 である。耳の遠い髪の臭い薄ぼんやりした女ボオイに、義理 …
あみだくじというものがある。 人生は畢竟、それと同じではないか。 全てを白日の下に晒して検分して認識出来なければならないという、 神経症的な、強迫観念的な奇矯さの中から抜け出して、 もっと自由に考えたら良い。 …